長野市高田『古牧日知学校跡地』をご紹介します!
こんにちは!長野市工務店アトラスホーム宮川です。
今回は長野市高田の『古牧日知学校跡』についてお話しします。ここは、昔の学びの場であり、今ではその面影もない場所で、一見何もないように見えますが、実は面白い歴史が隠されています🏫
まず、この学校ができたのは明治6年12月1日、それは約150年前のことです。この地域の人々が学ぶための場所として、小林栄蔵氏という方のお家を借りて学校としました。学校の名前は「日知学校」と名付けられました。これは孟子という中国の偉大な思想家の言葉から取られたものなんですよ📚
この学校は「組合立学校」で、周辺のいくつかの地域北高田村(北条・川端・久保・五分一))・上高田村・下高田村・平林村・敦賀町の七瀬地区の417戸が対象でした。その当時、学校に通うことができた子供たちは100人にも満たず、女の子は1人もいなかったと言われています。今とは全く違いますね😮
しかし、残念ながら明治19年3月には廃校となり、今ではその跡地は「デイサービス高田がっこう」という施設になっています🏥
「組合立学校」とは、地域の人々が組合を作って運営していた学校のことを指します。これは、現代の公立学校のように、国や地方自治体が運営しているのではなく、地域の人々が自分たちの力で子供たちの教育環境を作り上げていたんですね。
古牧地区を歩いていると、こうした学校の跡地や、農繁期に子どもを預けるための託児所の跡地があります👫これらの跡地を見ていると、昔はここにたくさんの子供たちがいたんだなと感じます。今でも古牧地区は、長野市の中でも大きな地区で、比較的若い世代が多いようなのです🌇
以上が、長野市高田の『古牧日知学校跡』のお話でした。今回のお話から、学びの場所がどのように変化してきたのか、また地域の人々がどうやって子供たちの教育に関わってきたのかを少し感じていただけたら嬉しいです🎒📖